ヨーコの公式ブログにおいで下さい

現在、こちらでの更新をストップしておりますので、

タイとタイ語で暮らしたい タイ アドバイザー 馬場陽子オフィシャルブログ

OFFICE EDUCA公式ページ
OFFICE EDUCA

に遊びにいらしてくださいませ。

よろしくおねがいいたします。

| | コメント (0)

「タイ語で暮らしたい」の裏側をお見せします

タイ語で暮らしたいはまだ本屋さんに並んでおりませんが、
タイ語を勉強する秘訣やこの本の内容、執筆裏話を
音声ファイルで公開しています。

かなりリラックスしたしゃべりなので恥ずかしいのですが(笑)
聞き手のオフィスゆきざきの柚木崎さんが上手にナビしてくださっています。

タイやタイ語を身近に感じたい人にはぜひ聞いていただきたいです。

ダウンロードはOFFICE EDUCAホームページ から
一番下にあるボタンをクリックしてくださいませ♪


| | コメント (2)

どうしてタイなの(8) ソンクラーン

お久しぶりに更新です。お付き合いくださいませ。

タイに行ったのは2月の半ば、それからキャンプを経てお家に入ったので、3月、4月半ばまでの夏休み(タイは一番暑い時期だから)はほとんど家にいたような気がする。

それでも知らない親戚の子が来て、スワンサンプラーン(ローズガーデン)に、その親戚たちと出かけたりした以外は毎日お家で勉強したり、見よう見まねで手伝いをしながら過ごしていたと思う。

タイのお家は1階はコンクリートで2階は木造の家が多い。2階は昼間暑くていられない。洗濯したTシャツがあっという間に乾いてたように思う。洗濯機もないようなところで洗濯しているのに。

それでも少し慣れたころ、ソンクラーンがあって。とにかくみんなで水を家の前でかけたり、パウダーを水にとかしたものをみんなで塗りたくって騒ぎまくった気がする。全身びしょぬれであんなにはしゃいだのは、この家に来て初めてだったかもしれない。ソンクラーンがあの時期にあってよかったと思う。あれで急に私と近所の人たちの距離が近づいたのは事実だ。ソンクラーンは無礼講だから、距離感が一挙に縮まる。あの頃はまだ娯楽も少なかったから、何かというと「ソンクランは楽しかったなー、ヨーコは真っ白けになってたな」と言われていた。
その思いがあって、実は帰国前に近所のみんなが私のために?ソンクラーンを企画するのだ。この話はまたもっと後に出てくるだろう。

時期は前後していてよく覚えていないけれど、このころになると私はもう、ここはお妾さんのお家だということや、この家のこの村でのポジションなんかをなんとなく理解していた。うちの店は何でもそろっている、何でもする母で成り立っている店だった。愛そうは消してよくないが、何でもやってくれる母の店に訪れる人は多かった。だけれど、お料理はまずいで有名だった。清潔さとかきちんとした感じは向かいの同業の店の方がよっぽどあったろうと思う。

隣には東北地方からの女の子たちがマリーの工場に行くための掘っ立て小屋があり、その掘っ立て小屋のオーナーが隣のクエイティアオ店一家であり、工場への送迎もやっていた。考えると、あそこの家はずいぶん儲けていたのかもしれない。イサーンの女の子たちがうちの店に来ることはあまりなかったが、彼女たちが来ると大抵は便箋と封筒、そして切手を買いにきた。水浴びを道路向こうの水路でしていたのも覚えている。
一度この部屋に入ったことがあるが、仕切りがないものすごく広い小屋だったという印象がある。当時の私がかかわることのない世界だった。友達になることもなかった。

当時、まだ舗装もされていないこのあたりは、土ぼこりがひどく、白いシャツを着ていると、茶色くなるほどで、電灯もないから、みな懐中電灯を持って夜道を歩いていた(きっとこれは今でも)。

ソンクラーンや寺祭りがあるときは、一本道の向こうにある、ワットワンナムカーオのほうが明るくて、みなが嬉しそうにそちらに向かっていった。

| | コメント (0)

新規レッスンとお得なキャンペーン

稿目を無事脱稿しました、ヨーコです。
あと、いくつか書類を作成したら、荷造りも全くしていないので急いで帰ります。

5月からのOFFICE EDUCAのコースには特典がございますの、皆様♪
4月中にお申し込みとご入金をいただきました方には、
5月に発行の「タイ語で暮らしたい」をプレゼントいたします。

どうかこの機会に奮って4月中に!!お申し込みくださいませね。

そのご連絡と同時にお詫びもございます…。
5月からのレッスンの開講時間に間違いが!!!

総合タイ語の開講時間は19時半から21時までの1,5時間でございます。
他の講座については、こちら  をご覧くださいませ。

総合タイ語

文章を読み、その文章に基づいたスキット、応答文、
問いの答えを書く、といった総合クラスを開講します。
タイ語の基礎を学習済の方、話す言葉から書く言葉へ
総合的なタイ語力を身につけていくクラスです。
基礎的なタイ文字読解能力、文法力が必要なクラスです。

●開講日時...
2009年5月20日 6月3日・17日、7月1日
いずれも水曜日19時半~21時、全4回 隔週

●受講料...25,000円(税込、教材費込。分割払いはご相談ください)

●対象...タイ語の文章がスムーズに読める方
●講師......馬場 陽子(タイ語講師・翻訳家・通訳家)

※席に限りがございますので、かならず事前にお申し込みください。

※お申し込み、お問い合わせはこちら にて。

皆様のお越しをお待ちしております。
楽しくお勉強いたしましょう♪

| | コメント (0)

OFFICE EDUCA 5月からの新講座のお知らせです。

とうとう・・・ようやく・・・・

5月からの講座をアップいたしました。

ので、どうぞこちらから ご覧くださいませ。

新しい講座もありますよ!!

チラシも作ったの♪

いまからタワンタイ にいってはってもらおう(笑)

OFFICE EDUCAは心斎橋駅から徒歩5分。
お仕事帰りにも、ショッピング帰りにも最適な立地です。
講師はすべて私、馬場陽子が担当いたします。

20年の経験値、すべて皆様にお伝えするつもりで
レッスンをしています。

お問い合わせもお気軽に!
取材もお気軽に!!(笑)
Tirasi

| | コメント (0)

どうしてタイなの(7)家の中

どんなお家に暮らしていたかというと、1階は何でも屋。
商品の並んでいる奥にミシンとパーマなんかを当てるとき用の
鏡台があって。
店の部分の脇におばあちゃんの部屋があった。

奥は台所で畑につながっており、お皿を洗うのは、
その畑の用水路だった。そこは畑の水やり用の船着き場もかねていた。

二階は木造で、私はレックの部屋を一年間使うことに。
鏡もなく、お洋服を入れる棚も満足になかった。

その隣が確か夫婦の部屋で、ホストマザーのため息がよく聞こえて。
私が来たので、新しいベッドを買い、それが2階の一番広い部分に
据え付けられ、レックたちはそこで眠っていたのではないかと思う。

部屋には蟻の穴がいくつかあり、辞書やカメラの中などに気がつくと巣くっていた。
卵を山のようにノートやカメラの中に作るのはかなり閉口した。

来た頃には、ひどく蚊に刺されるのも大変で。
ホストマザーが虫除けを買ってきてくれたのを塗ったけれど間に合わず、
長袖長ズボンのパジャマの裾を靴下の中に入れて寝ていた。
蚊帳を吊って寝たのも初めて。

ピンクの蚊帳でいろんなものが鳴いている中眠りにつき、
朝はお寺から聞こえてきていたのであろう読経と鶏のやましい鳴き声で起きた。

道に電燈もないので、皆懐中電灯を持って買い物に来ていた。
日本ではみたことのないような真っ暗な夜を幾度も過ごした。
夜がずいぶん長く感じたし、星が落ちてくるようだったのも覚えている。

| | コメント (0)

メールマガジン配信変更のお知らせ

メールマガジンのご登録をいただいていた方にご連絡です。

メールマガジンを変更しますので、また再開次第改めてご登録させていただきますね。

| | コメント (0)

どうしてタイなの?(6)望まれていない

複雑な家庭だった。

お妾さんちなんだから当然。

皆が少ない大人からの愛情を奪い合う。
一人増えたんだから余計に憎悪が息巻いていた。

ここにいていいのか。
そういうことをいつも自問していた。

近所のファランを作っているジェーギープは
私のところによくやってきた。
体格のいい、声の大きい人
ジェーは実は父のもう一人のお妾さんだと、
知ったのは帰国後だけれど。

日本では走っていないような大きな自転車に乗せて
お寺の市場に初めて連れてってくれたのは彼女。
クエイヂャップという内臓が入った麺を
なけなしのお金でごちそうしてくれたのに、
あまりの匂いに食べられなかった。
どうして食べられないかも説明できず、
ただひたすら申し訳なくて。
20年経っても、クエイヂャップを見ると、
ジェーギープを思い出すし、
いまだに食べられない。

私の持ってきたウォークマンは
すぐダーのものになり、
いつの間にか壊れてしまった。

ある人に結婚式に呼ばれ、
いっちょうらで持ってきたオレンジのワンピース。
結婚式だからときて行った。
タイの田舎では、破れてないこぎれいなTシャツと
ジーンズで十分なんだけれど。
知らなかった。
「これでいいか?」と尋ねたら
いいといわれたのだけれど。

花嫁さんよりも目立ったいでたちの、
タイ語も話せない日本人の留学生が、
披露宴の中心になり、
花嫁さんたちからひどく睨まれたのは
当然のことであり、申し訳なかった。

用があって街に出ても、
レックは私と並んで歩こうとしなかった。
どんどん先を歩いていくレック
いやなんだな、私は醜いんだなぁってしみじみ思った。

時間があるからたくさん考えた。
帰りたいとは思わなかったけれど、
どうしていいのかわからなかった。

タイルのいすに寝転んで、
犬の目線でものを考えたり。
今考えるとそんなこともやっていた。

相変わらず、ご飯は一人だった。
入れ替わり立ち替わり来る近所の人と歌
「eat dinner take a bath」なんて言う言葉ぐらいで
1カ月暮らしていた。

クンたちとローズガーデンに行ったのもこのころ。
ソンクラーンはクンたちとわからないなりに楽しかった。
水浸しの真っ白けになっている写真が残ってる。

| | コメント (0)

どうしてタイなの?(5)家族構成

私のお世話になった、P家は第二夫人のうち。

いわゆる「お妾さん」のおうち。

当時のタイで私の周りでは当たり前だった。
本妻さんがいて、旦那さんは週一だったり、
何カ月かに一度お妾さんたちの家を回る。

子供同士の行き来はあるけれど、
(預けたり、預けられたり)
妻同士はない。

お金は奥さんが働いて稼いでる。

お父さんは週末だけいる。
趣味 闘鶏
日本系の?飼料会社勤務
会うときは酔っぱらってるか
ニワトリを抱いてるか

お母さん
裏の畑でキンマの栽培
当時は何でもやさん経営
美容院併設
お洋服直しとかもしていた
寡黙
独り言多い

レック
長女
私の一つ下
本妻の子供とも仲がいい
周りの人を顎で使う
すごく意地悪
見た目と世間体命
上昇志向高い
彼女が留学試験に落ちたので、
どうしても行きたい人はホストになると
行けた(らしい)ので、ホストになったという経緯。

金髪美少女が来る予定だったのに、
まんまる黒髪の子が来たのが想定外

ダー
長男
当時中3
バイクの改造して乗りまわしてる
スピード狂
勉強できない
お父さんの手伝いはする
たぶん私と話した時間は1年で
1時間もないのでは?

ペット
二女
当時中1
甘えた
お勉強もお手伝いもあまりしない

親戚
クー
お母さんの弟
合言葉は、ご飯食べた?
いつも気にかけてもらって、
よくしてもらった
機械いじりが趣味
仕事は畑

キム
クーの奥さん(本妻)
めちゃくちゃやさしい
病気の時に看病してくれる人
いつも心配してくれてた

クン
長女
レックと同じ年
小学校だけ卒業
家の手伝いなどする
私の面倒もよく見る
ちょっと恋多き女な感じ

ゴイ
二女
当時小5
私のタイ語の先生
いつも一緒にいた
お手伝いもよくする
おとなしい子

| | コメント (0)

どうしてタイなの?(4)サクラとmissing

そういえば、去年、私のタイに行き出したきっかけを連載してたのを思い出しました。ぼちぼち書いていきますね。前のはこちらから。

おうちに行ったのはちょうどタイが一番暑くなる3月の半ばぐらいだったと思う。
まず困ったこと。お風呂。
入り方がわからなかった。小さなプールぐらいの水槽があって、入る?って思ったけれどそれから水をくんで水をかけるんだと何となく思ってそうする。

家族も多いからお風呂にいつ、どれくらい入っていいのか、トイレも兼用だから結構大変だった。

洗濯は、金だらいに入れて全部手荒い。この頃の習慣はしっかり付いていて、手洗いで選択するのは今でも全然苦にならない。

ご飯、と呼ばれておりて行くと、卵焼きがぽつんとキッチンに置いてあって。
お茶碗がどこにあって、自分でよそって食べてよいかも分からないで、手がかかる子だったと思う。ここのおうちみんなで食事をした記憶はない。いとこのクンが自分でよそって食べろとか、全部教えてくれた。食べ終わったら、裏の畑の用水路でお皿を洗って片付けておくとか。

隣にはクエイティアオやがあって、そこのお兄ちゃんがバスの運転手をやっていて、裏に作った掘立小屋に住まわせている、東北の出稼ぎの女の子を近くの缶詰工場に連れて行っていた。3交代の24時間営業。近所の女の人の多くはマリーの工場に行ってたように思う。

お隣のおばさんが工場から帰ってくると、コルセット一枚で電気もない家の土間でコーカイを教えてくれた。孫の小さいのが呼びに来る。うまくできないとしかられた。私が蛇の発音が下手だとか、みんななぜかよく知っていた。

とにかくなれるようにと思って、いつも店の前のタイルでできた椅子に座っていた。
朝になると、氷を運んでくるので、のこぎりで毎日10等分して、箱に入れるのはすぐ私の最初の仕事になった。

毎日日差しが眩しくて、時間がたつのがゆっくりで。

店の前でぽつんと座る私のそばに、
いろんな人が来て、同じ質問をしていった。
もちろんまだ話せないから、辞書で意味を順番にたどりながら。

子供たちがいい先生だった。
リクエストは 私 望む 歌 歌う
サクラとか、童謡をたくさん歌った。
毎日歌っていたら、ある日こう指さされた。
私 望む 歌う 他

ミッシング、久保田敏伸の名曲。
この歌が大好きだった。
落ちてきそうな星空を目にしながら、この歌を何度歌ったろう。

学校が始まるのはひと月後。
毎日どうしていいか分からないままに、
少しずつ周りの人の名前を覚えたりして、一日一日が過ぎていった。

| | コメント (0)

«ブログリニューアル?